日本庭園

景観設計の中でも、「日本庭園」はベーシックでシンプルな自然環境を持つ庭園の形態を指し、思索や瞑想を促進することを目的としています。

庭園は、中国または朝鮮から伝わったと考えられています。5世紀までには、皇居に庭園が設けられていたことが記録されており、その主な特徴は、橋で岸に繋がれた小島のある池でした。これは、後の聖武天皇(在位724-756年)の3つの奈良公園にも同様の庭があることからも明らかです。

平安時代(794-1185年)には、左右対称の寝殿造が流行したため、主となる庭園は、家の南側に設けられていました。しかし、鎌倉時代(1192-1333年)になると、家づくりの変化に伴い、庭園も変化していったのです。

庭園の造営を学んだ禅僧たちは、岩に仏教に因んだ名前を慎重に選んでつけたり、宗教的/哲学的な思想と景観とを結びつけたりしました。

室町時代(1338-1573年)になると庭園は人気となり、見て楽しむだけではなく、小さな世界観を探索するために作られるようになりました。「渋み」が庭園に求められたのは、平凡な見かけの中に洗練を隠し持ち、洗練された感覚によってのみそれを感じることができるという、その控えめな性質のためでした。

美意識の高い僧侶、茶人、好事家たちは、茶室(茶の湯のための小さな建物または部屋)のために新しいタイプの庭園を作り、独自のスタイルを確立していきました。

その後、「心」「行」やその他(「巧」「中」「略」など)の三段階の凝ったデザインが流行し、庭園にも取り入れられました。桃山時代(1574-1600年)と江戸時代(1603-1867年)には、いくつかの美しい庭園が造られました。ところが、造園の中心は、京都から徳川幕府の都である江戸へと移っていくことに。

一方、地方の大名も美しい庭園を持っていました。封建制度が廃止された明治維新(1868年)を生き延びた庭園も数多くありましたが、それ以上の数の庭園が、放置されたまま滅ぶか、現代の進歩のための犠牲となりました。1873年からは、封建時代には珍しくなかった公共の公園づくりが全土で進められました。

特徴

日本庭園の特徴としてよく挙がるのが、10種類以上の滝、滝の水源となる泉や小川、湖、および湖を掘りおこした土で作った丘、島、さまざまな種類の橋、天然石の守り石などです。

景観設計の第一の課題は、石の選択とその適切な配置です。そのためには、何度も試行錯誤を繰り返し、スケッチを重ねることで、最も優れた繊細な構成が受け継がれてきました。美しさと実用性が調和した茶の湯の庭園の特徴は、飛び石を不規則に配置していることです。